ハードワーカーたちのサスペンス「ミレニアム」

言わずと知れた北欧ミステリの金字塔、ミレニアムシリーズ。
「ドラゴンタトゥーの女」「蜘蛛の巣を払う女」という題名でハリウッド映画にもなったので、ご存知の方も多いのではないだろうか。
私は1年くらい前に1作目を初めて読み、少しずつ続編を読み進める内に最終作が発売された。
設定やキャラクターのインパクトが強い一方でストーリーの流れは古典的なミステリに近いので、とても読みやすく、素直に楽しめる。
内容についてあれこれ書いてしまうとネタバレになってしまうので触れず、それ以外の部分で感想を書いて行く。

ミレニアムの登場人物たちはとにかく全員よく働く。仕事量がとんでもなく多いし、睡眠時間は極端に短い。
皆がそれぞれに生活や仕事をバリバリとこなす中、話がどんどん展開して行く。
ジャーナリスト出身の作家の文章は独特の勢いがあることが多いと勝手に思っているのだが、ミレニアムはその中でもトップクラスのスピード感なのではないだろうか。
作者と同じくジャーナリストの主人公ミカエルは、たびたび重大な身の危険に晒されてはすんでのところで生き延びる。
しかし、作者であるスティーグ・ラーソン氏本人はミレニアムの世界的ヒットを目にする前、50歳という若さでこの世を去ってしまったのだ。心筋梗塞だったそうだ。
彼自身がハードワーカーであり、更にヘビースモーカーでもあったらしい。その生活習慣が彼の身体を蝕んだのだろう。
だからミレニアム6部作のうちラーソン氏の手による作品は3作目までで、4〜6作目は別の作者に引き継がれて書かれている。
本当はミレニアム10部作の構想があったそうなので、ファンとしては残念でならない。

ラーソン氏は、大学生時代に同じ学校の生徒が性的被害に遭っている現場に遭遇している。
そして、その場で足がすくんで逃げてしまい、そのことについて後から被害者の女性に糾弾されたらしい。
その経験ゆえ、ジャーナリストとしても作家としても、ある種の使命感に燃えていたのだろうか。
身を削るほどのハードワークに身を投じるのは、苦しい経験から来る何かしらの思いに取り憑かれていたのではないかとつい勘ぐってしまう。

他人や自分に勇気を振るえなかった時、人は自分を情けないと感じ、責める。
だが、自分を責めたり反省する時はまず先に、自らの不運を考慮に入れるべきだ。
暴力が偶然そこに存在していた。そしてそれを偶然目撃してしまった。
その時、自分の身を顧みずに被害者を助けることが出来る人間が、一体どれだけいるだろうか?
時々新聞やニュースで人助けのヒーローとして取り上げられるのは、その時偶然それを成し遂げた一部の人々である。
人を取り巻く状況はその時々で違っている。
常に強く、そして善良でいられる人間など存在しない。
この世には絶対的なヒーローなどいないのだ。
環境、健康状態、人間関係、それまでの経験の有無など、様々な要因が下地としてあって、初めて人は勇気を出して行動することが出来る。
ヒーローに憧れ、いざという時は勇気を持つ決意をしつつ、人は弱くて当たり前の存在であるというスタンスを取っておくのが健康的なのではないかと私は思う。

さて、ミレニアムのストーリーはミステリであると同時に、典型的な勧善懲悪ものだ。
この物語の中では、女性を我が物のように扱い、暴力を振るう悪は最後に必ず倒れるように出来ている。
ラーソン氏は、暴力を目撃したその時は、足がすくんだのかもしれない。
だがその後、文字通り生涯をかけ、巧みなストーリーで人々に希望を与えるヒーローとなった。
しかし、やはり、彼の受けたショックがそうさせたのではないかと想像すると胸が詰まる。
我々ミレニアムファンは彼の遺志を継ぎ、女性への暴力や差別のない世の中にして行きたいものだ。

ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

行動力のあるオタク

「自分がどういう人間か」なんて、本当はよく分からないものだと思う。
人間というのは往々にして本人が思っている以上に多面的で、場面や相手、社会的役割に応じ、その時々で無意識に人格を少しずつ変えながら過ごしている。
だから、同僚、家族、友人、恋人、そのそれぞれに自分に対する印象というものがあり、それぞれがバラバラだ、なんていうことがある。
自分の確固たるアイデンティティや分かりやすいキャラクターなんてものは、幻想だ。人はもっと複雑に出来ている。
キャッチコピーやキャラクターというのは人や物に対してあくまで商業的に付けられるものであって、それを自分で自分に付けてしまっては、大変に不健康な事態を招いたり、人間のあらゆる可能性を阻むことになりかねない。むやみに自分で自分をジャッジするものではない。
私はそういう考えでもって、日々生きている。

が、まあ、ブログを書くにあたり、一応自己紹介めいたことをした方が良いでしょう、ということで、薄ぼんやりながらも自分のやって来たこと、普段していること、人から言われることを振り返ってみると、とりあえずこれだけは言えるのではないかと思えたことが二つある。

まず一つ。行動力がある。
悪く言うと、あまり深く考えずに動く。
何か試してみたいことがあった時に「これをやってみようかな〜、どうしようかな〜」と、思いを巡らせる時間が、恐らく少ない方である。
周囲からは度々それを指摘される。
とりあえずなんでもやってみて、人にもどんどんアプローチしてみて、駄目だったらその時考えたらいい。そんな風に考えることが多い。
私は保守的な地元の価値観や、通っていた学校の「あくまでも偏差値の高い学校へ行くのが正しい」という教育システムに馴染めなかった上、育った家庭の環境が悪かった。
それに耐え切れず、高校を卒業してから全く見知らぬ地方に一人で家出をした。
すぐ動くのが良いことであるとは一概には言えないが、あの頃の極限状態においては「とにかく動く」という積極的な指針のもとに生きなければ、恐らく何も得られずに野垂れ死ぬしかなかっただろうとは思う。

二つ目に、私は性根がオタクだ。
オタクというよりも英語のスラングGeekが正確なニュアンスだが、伝わりづらい気がするので、便宜上オタクという言葉を使わせて欲しい。
ハマり症で、日々何かに夢中になっている。
ハマったことについては納得するまで学ぶことをやめない。そして常に新しい知識を欲する。役に立つかわからないのに意味もなく覚えていることがやたらにある。
しかもハマっていること、発見したことを、周りの人達に向かって早口で喋り続けるということが度々ある。
まとめると、私は行動力のあるオタクなのだ。

ということで、書き手がどんな人間なのかひと目でわかるように、ブログのタイトルを「行動力のあるオタク」にしておいた。
ブログにダサい名前を付けてネーミングセンスのなさを見せ付けた上、その説明のために自分のことばかり喋って、とても恥ずかしい記事だった。
次からはもう少し、何かについて考えたことや、本を読んだ感想、最近知って驚いたことなんかを書いたりするつもりだ。

*****

冷静になって考えるとあまりにダサ過ぎてやばいので、ブログの名前にするのはやめました。
なにもしらないライブラリー、よろしくお願いいたします。

何も知らない

ブログを始めることにする。
さしあたり、タイトルを考えねばならない。

しかし、私はネーミングが大の苦手だ。
昔飼っていたペットの名前はその時やっていたブログ上で読者から募集して決めたし、何年か前、成り行きで何故か自分のトークイベントを開くことになった時も、イベントの名前は知人に決めてもらった。
全部人任せである。一度くらいは自分で頑張ってみたい。
まあ、なにも思いつかないのなら「ヨウコのブログ」なんかでも良いのだけれど、ヨウコとはあまりにも平凡な名前だ。
この世の中には大勢のヨウコがいる。自分の名前をタイトルに冠したところで、一体どのヨウコなのか分からない。
クレーンゲーム機の中でゴロゴロと積み重ねられるぬいぐるみのような気分になりながらテーブルの上を眺めると、帰る途中にコンビニで買って来たクレープが置いてあった。
包み紙には「パティシエの声から生まれた卵を使っています!」と書いてあった。
その言葉を見た途端、懐かしい感覚が体の内側に蘇って来た。

小学校に入るか入らないかという頃。
何もかもがよく分からず、知らない世界に一人で放り出されたような気がしていて、いつも漠然と不安だった。
人の言っていることの意味がいまいち深いところまで理解出来ないので、テレビのバラエティ番組を見ては、いま、この人たちは一体どういう意味で笑っているのだろう?と、しょっちゅう真剣に考えていた。
そんな5〜6歳頃の自分だったら、先ほどの「パティシエの声から生まれた卵を使っています!」には絶対に引っかかっていたはずだ。
「卵はニワトリから生まれるはず。パティシエの声から生まれるってどういうことだろう?声は目に見えないものなのに、声から卵が生まれることなんてあるの?これ、見た目は普通のカスタードだけど、声から生まれた卵を使っているなんて、食べても大丈夫なのかな…。」
きっと、これくらいの疑問が一気に生まれていたに違いない。
そんな風だから毎日が戸惑いの連続で、でも、毎日が楽しかった。
新しく覚えたことを生活の中で実際に使ってみるのが何よりも好きだったので、覚えたらすぐに使える"言葉"になによりも没頭したのだと思う。
最終的には最も効率よく言葉の知識を得られるツール、辞書を読み耽るようになっていた。
寝る前にベッドの中で辞書の細かい文字を読むものだから、視力がみるみる悪化してしまった。

あの頃ほど鮮やかではないにせよ、そういう気持ちは今でも私の中に強くある。
どんなに年齢を重ねても、経験を積んでも、この世には自分の知らないことだらけ、わからないことだらけ。
だから多くのことを知り、経験し、それを言葉にし続けなければならない。
自分の人生を楽しいものにするために。
そしてその楽しさを誰かと共有するために。

そんな意味をこめて、ブログの名前は「なにもしらないライブラリー」になりました。
どうしてもブログタイトルに図書館という意味の言葉を使いたかった。使ったらこうなった。
絶妙にダサくていいなと思ってます。
色々書いて行きます。よろしくお願いします。

このブログについて

・書いてあること

私が接した様々な出来事、情報、本などを紹介しつつ、これからの時代を楽しく生きて行くにはどうしたらいいかを考えています。


・書いている人

ヨウコ

美術鑑賞、数学パズル、株式トレードが趣味。
海、温泉、水族館など、大量の水がある場所を好むわりに、泳ぎは苦手。

連絡先 yk00000mail@gmail.com

ご意見や感想、いつでもお待ちしています。
おすすめの本や何か面白い情報などもありましたら是非教えてください。