筋肉は裏切らないが、筋肉以外は裏切る

健康診断で乗った体組成計に"隠れ肥満"と告げられたので、しばらく前にスポーツジムに通い始めた。
最初はウエイトトレーニングマシンの見た目に怯え、ただランニングマシンの上を走ったりプールで泳いだりしているだけだったものの、それでは身体は中々変わらないということで勇気を出してマシントレーニングに挑戦するようになり、しばらくするとパーソナルトレーナーに教えを乞うようになり、今、超真面目に筋トレを継続している状況である。
まさか、こんなに真面目に運動する日が来るとは思わなかった。
「校庭の砂が太ももに当たるのが嫌だから私はその日学校を休む」という、お姫様にしか許されぬ言い分で高校の体育祭を3年間全部サボった私が。

さて、生まれて初めてトレーニングを続けていて驚いたのが、少しずつでもきちんと積み重ねれば力も付くし、ボディラインもそれなりに変わって来るということだ。
近頃、フィットネスの流行に伴って、「筋肉は裏切らない」という言葉を度々目にするようになった。
この間までは一体それがどういう意味なのか全くわからず、ただの面白ワードとして認識していたのだが、自分でやってみて納得した。
確かに、筋肉は裏切らない。
この場合の裏切らないとは、「努力がほぼ必ず実を結ぶ」ということだ。

努力の素晴らしさ、美しさが語られることが度々あるが、実際、人生において、努力が望む結果に直結することはそうそうない。
努力したからと言って、好きな人に振り向いてもらえるとは限らない。
努力したからと言って、仕事で素晴らしい成果が挙げられるとは限らない。
努力したからと言って、絶世の美男美女になれるものではない。

それを受け入れられなくなった時、人は心を病む。
ことに現代は、あたかも全ての人間が主人公になれるかのような情報が多く出回り、人生とはそのようであるべきだと思わされやすい。
しかし、全ての人間にスポットライトが当たり、全ての人間が典型的な成功者になれるわけではない。
我々、多くの者は凡人だ。
また、一度何かに成功したとしても、それが継続するとも限らない。
人間には生まれついての能力の差、環境の差があり、さらにその時々の運の良し悪しにも差がある。
やたら壮大な世界や夢のような世界を見せられ続けると、その時の自分に合った自分なりの幸せを獲得しようという素朴な気持ちを保つのは中々難しい。
しかし、食事に気をつけ、正しくトレーニングをすれば、必ず身体は変わってくる。
適切で地道な努力により自分の人生も少しずつ変えられるのだ、と信じられる気持ちになって来る。
だからこそ、今の時代は筋トレを必要としているのかもしれない。

ところで、ボディービルの世界においてのトレーニングは一般人がたまに取り組む筋トレとは違い、とにかく大変厳しい世界らしい。
食事もトレーニングの一環で、味を楽しむというよりは筋肉のための栄養摂取であると捉える人が大半とのこと。
そういった特殊な方々についてはこの話からは除外するべきであろうな、と思い、ボディービル大会のチャンピオンの方々のインタビューを調べて読んでみたら、その中の一人が筋トレについて「努力が必ず形になって返ってくるところが良い」とおっしゃっていた。
その二の腕の筋肉は安静時にもかかわらず、太い血管と共に逞しく隆起していた。
「努力量やば…」と思った。